フリーダムにちゃまる

幸せに生きようよ~

ちゃまるが休職に至った経緯

ちゃまるは、2018.12~2019.2まで休職をしております('_')

ちなみに看護師1年目です(*'▽')!!!

2018.2に看護師国家試験を受け、見事合格。看護師になれたかと思いきや……?

 

休職に至るまで

看護師デビューだ!しかーし……

晴れて看護師になれた私は、これから先続くであろう看護師キャリアライフに思いを馳せていました。配属先は希望していた混合外科病棟

 母も看護師であり、母の「最初は外科病棟で学びな」という言葉を鵜呑みにしてたこともありますが、その失敗についてはまた別の記事で。

 どんなナースになるんだろう?バリバリ働けてるかなぁ?患者さんに頼りにされて、ニーズに寄り添えるようなナースになりたい! 

などなど、希望ばかりが膨れ上がって満ちていました。そのワクワクは否定しません……ただ、私には適していなかったのです。

言われてもできない、当たり前のことができない

 始めのうちは看護学生さんならお馴染みのシャドウイングでしたので、業務を覚えたりカルテの使い方を学ぶことが中心でした。

 しかし私は日々の復習ですら的外れなことをしていたり、そもそも勤務中のメモの取り方すらできていなかったのです。

 例えば……(※悪い例ですよ!!!)

  • 先輩に「メモとって」と促されて、メモを取る。これを何回も繰り返す。
  • そもそもメモ帳を忘れる
  • 「復習しようね」の意味が分からず。知らない用語とかは調べたりするが、ただその日メモしたものを眺めるだけ。
  • その日できたこと・わかったことだけを復習
  • わからなかったことは帰宅後調べるが、後日先輩に質問しない!
  • 優先順位をガン無視

挙げるとキリがないんですよね~~~(-_-;)

 加えて、主任の「勉強は、するときにはしなきゃだから、余計に勉強しなくていいの」という言葉を鵜呑みにし、後悔する羽目に。この言葉の真意に気づくのは半年後のことでした。

報・連・相ができない!

 ちゃまるの性格の大前提をお話します、人に質問したり頼ることが大の苦手なんです。

 もう本当に、萎縮してしまうし、声がちっちゃくなっちゃってなんて言ってるのかわかんねぇ!って感じなんですよ。

 加えて、一般的(?)に忙しいといわれる外科病棟ですから、先輩ナースたちは自分のタイムスケジュールをいかにこなすか頭をフル回転。その雰囲気はやはり話しかけづらく……

  仕事の基本、報連相ができないのです

 しかも、話を聞きたい先輩がどこにいるのかまったくわからない!PHSも繋がらない!どうしよう!その場で足踏み&フリーズをよくしていました。

 患者さんのベッドサイドに行って疑問点があっても、すぐ先輩に確認せず叱られることもしばしば

  自己肯定感の低い私は「自分本当にダメなやつだ」と落ち込むばかりでした。

 誤解されそうなので補足すると、この病棟の先輩たちは皆ほんとうに優しいんです。質問すればちゃんと答えてくれるし、なんで叱ったのか理由も説明してくれるんです。患者さん中心の看護をしようと掲げていたので、本当にいい環境でした

時間の使い方がわからなくて、再びシャドウイング

 本当にタイムスケジュールを組むことが苦手なんです。私。

 看護実習に行くとわかるのですが、看護学生は1日の予定を事前に立て、それを指導ナースや先生に報告し、行動修正をし、1日が始まるのです。

 それと同じで、ナースの朝は情報収集&タイムスケジューリングが1日の質を左右するんです!!!(なので朝残業とかあるんですよね~

 私は学生時代からタイムスケジューリングが苦手で、そもそもチーム医療や病棟での1日の流れがどうして存在しているのかをちゃんと理解していなかったんです。

 他の人に頼めそうなことを全部自分で行おうとしたり、必要な業務(点滴更新とか)をすっとばしたり、リハビリの時間を考慮していなかったり、必要な報告をリーダーナースにできていなかったり、根拠が曖昧だったり確認が必要なことなのに勝手に判断を下して行動して先輩に叱られたり、オンコールのオペ、そして検査、そしてトイレ介助を求むナースコール……そもそも、タイムスケジューリングしても時計を見ないから意味ない!……あぁキリがねぇ。

 悩みに悩んだ私は師長に相談。このとき6月でした、4月ぶりのシャドウイングをさせていただけることになったのです。

師長に相談後……

 シャドウイングが終わり、再び主任や師長と話し合い。恐怖や不安感が前面に出ていた私に師長はこう提案しました。

 「業務量を減らすとかして、業務調整をしましょうか。夜勤も見送りしましょう。

 私は師長の提案を呑みました。でなきゃ先輩たちに余計な迷惑が掛かってしまう……と感じてしまったからです。迷惑とかそういうことを考えないでね、ってフォローしてくれたものの、当時の私にその声は届きませんでした。

さすがにおかしい!自己判断で心療内科

 業務調整してもらって2カ月ほど。タイムスケジュール調整方法にしても、メモ方法や復習についても一向に改善されず

 家に帰って復習しようにも要点が掴めず、1日のことも思い出せない。帰ったら本当になにもしたくなくて、カーテンを閉め切り、電気を消し、ベッドにこもり、ただただ横になるだけの日々

 家族にも相談できず、藁にも縋る思いで心療内科を予約。大学生のころから「自分はADHDなのではないか?」という疑いも持っており、担当医師にその旨を告げる。

 診察後、問診票?テスト?みたいなものも行う。結果ADHD傾向」というかなりのグレーゾーン。先生曰く「環境も変わり、ついていけず、もともと持っていた性質が濃く出てしまったのでしょう(意訳)」だとか。

 そして、ストラテラ40mg(現在はジェネリックのアトモキセチン80mg)の内服を開始するのでした。

不安の日々……心療内科通いを告白!

 しばらくは心療内科通いについては誰にも話せず、Twitterでひたすら呟いて気持ちを紛らわす日々が続きました。

 業務中は不安でいっぱいで、何度も同じことを確認する行為が目立っていたようです。タイムスケジュールを立てても、書き方が下手なのか、一向に業務の質やスピードは改善されず

 いっぱいいっぱいになってしまい、色々なことが重なって、それをしたくなくて現実逃避する日々。向き合おうとすると涙が出てくるし、家に帰ったら帰ったで真っ暗な部屋でひたすら泣くだけの日々

 途中から頓服で抗不安薬も処方されるようになりました。

 それは師長から「まだ夜勤は無理そうです。業務調整もしているので平等性を考えて日々の業務の中での残業代は出せません。いいですか?」と申し訳なさそうに告げられたのがきっかけ。

 ダメな奴、と角印を押された気分になり、気分はどん底。身体もあまり動かなくなり思考も働かなくなりました。

 ちょうど次の日が心療内科受診日。先生には何も言えず、ただ黙って俯いていただけでした。「わかんないです、ダメです」と声を振り絞るのが精いっぱい。

 思考も働きませんし、コミュニケーションも取ることができません。本当に、会話をすることが困難でした。

 休職を勧められましたが、職場の人員不足のことが気がかりで、それを精いっぱい告げると、抗不安薬を処方してくださったのです。

  その翌週、師長にようやく心療内科通いを告白しました。

 この頃から、コミュニケーション改善目的で臨床心理士によるカウンセリングも始めています。今も続けています(2019.1)

とうとう電池切れ。

 抗不安薬を飲むと、いくらか気分が楽になり、身体も頭も働くようになりました。しかしあくまでも対症療法。

 そうしてごまかしながら業務を続け、ストラテラの効果と自身の努力もあってか、業務の質は極僅かながら改善してきたように思えました。

 しかし、しばらく朝から不安定な日々が続くようになりました

 「仕事行きたくない」って思うことは珍しいことではありませんよね。誰にでもあります。もちろん私もそうです。

ですが

  • 今までは起床できていたのに時間通りに起床することができない
  • 朝から涙が止まらない、職場に着いてもコントロールが難しい
  • 抗不安薬を飲まない日がなくなり、日中の抗不安薬追加内服の回数が増える
  • 仕事中に思考停止する回数が増える、看護記録すらまともに読めないときもある

などなど、今までできていたことができなくなってきてしまいました。

 そしてある日突然、仕事中に限界を感じてしまった私は「もう無理です、責任もって仕事をすることができません」と師長に告げてしまいました。

 告げた瞬間感情のコントロールが効かなくなってしまい、その場にしゃがみこんでしまいました。それではいけないと思い、トイレに逃げ込みました。

適応障害の診断 休職へ

 師長に、親へ心療内科通いのことを告白するよう提案されました。たぶんですが、私は母親コンプレックスで、私の母は少々毒で、本当に親に告げるのが嫌でした。

 一人暮らしだったこともあり、攻撃性増加・自殺願望が芽生えていた私に師長は実家に戻るように促してきました。どっちにしろ、その提案を呑まないことには師長は許してくれなかったでしょう。

 ひとまず次の受診日まで有給休暇をもらい、受診日には母親が同行。休職することになりました。休職するという事実が私のプライドをズタズタにし、しばらくは気分が落ち込む日々が続きました。今となっては休職してよかったと思ってます。

休職中にしていること(2019.1 現在)

 まだ休職中です、休職明けたらまた更新しますね!

ひたすら休む

  休職し始めたころは、ひたすら休んでいました。何もする気力が起きないというか、身体を動かそうっていう発想に至らないんですよね

 そもそも考える力が衰えているのです。回復してきている今だからこそ実感できるのですが、本当に考えることができなかった

 なので、ひたすら横になり休んでいました。

 そして、母にこっぴどく色々言葉を投げつけられました

「あんたは強くなかったんだね」「なんで3年耐えられなかったかな?お母さんにはできたのに」「あんたはダメだったんだねー」「大学も通わせてもらってさ、あー!あんたが恨めしい!」「大学出身は頭でっかちが多いんだよ。あんたも頭でっかちだよ」

極めつけは「休職すんだったら家の(事業の)手伝いしてもらうからね?いい?」

 は笑!休みもらった意味~!!

 正論もありましたが、どれも私には槍でしかなく、心に盾がないため、自己否定の悪循環でしかない。

 ヒステリーを起こしそうになりましたが、声を荒げることはグッとこらえ、ひたすら無視し続けました、心にはグサグサきておりますが笑

 とにかく、休みましょう。

好きなことをする

 これも母には嫌味ったらしく言われました。

 「遊びに行けるんならへーきじゃんね!」って笑

 確かにそうなんだろうか?と不安にも思いましたが、全然平気ではないと断言できます。

 もともと約束していた友人との予定については全力で行きました。もちろん、楽しんでいました。ですが、先生から言われたことで気づいたのです。

 突然ですが私、絵を描くこともまぁまぁ好きなんです。

 主治医に「最近趣味もするようになってきて……絵なんですけど」と告げたところ、「絵を描くことは集中力を要しますからね、抑うつ気分だと思考力や集中力も低下するっていう症状が出ますし……やっと回復してきたんじゃないでしょうか?」とコメントが。

言われてハッと気が付きました。本当に1年ぶりってくらいに集中して絵を描くことができるようになっていたのです。

そして、読書もできるようになっていることに驚きました。看護記録を読むのに苦労してたのに……びっくりです。

 私の場合、休職から1カ月目のことでした。

 復職しようと思っていましたが、ようやく回復してきた回復初期ということ、適応障害は1カ月では短いと医師からアドバイスがあり、休職を続けています。

さいごに

 適応障害で悩んでいる方、社会人1年目の方、看護師さんで同じように悩んでいる方、読んでいただいて少しでも共感し、自分はどうなんだろう?って自分のことを振り返ってもらえれば幸いです。

 この記事は経緯ということでだいぶ詰めました(-_-;)

 今回の記事で端折ったこととか、書きたいこととかいろいろあるので、また更新していこうかなって思っています(#^^#)♪

 最後までお読みいただきありがとうございました!